やっぱり、海外で暮らしたい! 【海外生活10年突破】

語学留学、海外就職、国際結婚等、何の取り柄もない僕が外国で普通に暮せるようになるまでの10年の記録、そして、これからについて綴っています。

語学留学のデメリットとは・・・?

語学留学になにを期待するか

<i>語学留学のデメリットとは・・・?
http://allabout.co.jp/gm/gc/433787/

英語の基礎力が身に付いている人が語学留学をすると、
「英語を試してみる」、「英語を通じた異文化体験」という点において、
たとえ短期間であってもある程度効果が見込まれると思います。

英語そのものが苦手だったり、
あまり英語力が身に付いていない段階での語学留学は、
以上のようなメリットが得られない。


言葉をあまり介さないもの
―ちょっとした買い物や観光など―に限られますし、
クラスメイトとの交流においても、
挨拶やちょっとした日本の紹介以上の深い交流が出来るには至らない。


私の経験から考えても、
上に書かれている内容は、
ほぼ間違いないかなあと思います。


ゼロからのスタートで、1年留学した程度では、
ちょっとした買い物や観光で少し話せるくらいで、
挨拶やちょっとした日本の紹介以上の
深い交流が出来るようになるのは無理です。


1年程度の語学留学で
語学力の飛躍的な向上を求めるのは
非現実的です。


以前にも書いたように、私の経験では、
語学力が飛躍的に上がる可能性があるのは、
この後だと思ってます。


ある程度、基礎能力が備わってからです。
外国語でサバイバルできる状態になってからです。


そのタイミングで上のように
「語学力を試す」、
「外国語を使った異文化交流」
の機会が得られれば、
飛躍的に語学力を伸ばすことができます。


しかも、
日本企業の採用においては、
語学留学は、経歴として評価の対象になりません。


日本企業の海外駐在案件などでは、
駐在する地域での居住経験のある方を求めるケースは多い。


ただし、留学のみは不可というケースがほとんどです。
現地での職務経験が求められます。


本当に仕事で使える語学力と、
その経験を求められているからです。


だから、折角、語学留学をするのなら、
その後、現地に残って働いてみるべきだと思います。


真剣にキャリエチェンジを考えているのなら、
是非、そうすべきです。


1年の語学留学を無駄にしないために。

僕は20代で一生分の「やりたいこと」を見極めるなんて無理でした。そして、海外へ飛び出した。

Chikirinさんの「未来について考えよう」
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20130701

また、この本を読み返してみた。


日本を出たのが2002年、
当時の僕は、
現場での仕事が多かったこともあり、
営業の仕事は現場で覚えた反面、
Officeなど、まともに使えなかった。


Power Pointなんて使ったこともなかった。
仕事でネットを使うことも皆無だった。


少なくとも、
僕が所属していた会社は
皆がそんなレベルだった。


だから、出来ないことを何とも思っていなかったし、
出来ない事がまずいと気付くこともできなかった。


パソコンに毎日触れてネットに繋がるようになったのも、
Officeを使えるようになったのも、
スマホを使うようになったのも、
全部、中国で始めたことだった。


こんな僕が、今や、どういうわけか、
ネットビジネスに携わっていたりするのです・・。
しかも、外国で、中国語を話しています。
まるドメの超アナログ人間だったのに・・。


全て、中国に留学したこと、
中国に留まって仕事をしたことがきっかけです。


あの時、思い切って留学しなければ、
あのまま日本で仕事を続けていたら、
どうなっていたのだろうか・・。


海外で働いてみたい、
外国語を使って仕事をしたいと思う人にとって、
海外留学・海外就職は、
最高のキャリアチェンジの機会だと思います。


そして、
私は、ちきりんさんの言う二つ目の人生をスタートさせる
40歳が近付いてきました。

新しいチャレンジを始めようと思います。

雑誌は本当になくなってしまうのだろうか。

エロ本業界の厳しすぎる現状について書きました
http://rioysd.hateblo.jp/entry/2013/11/13/115853

特にキツイなと感じたのが、今、エロ本を読んでいる人は「ネットが出来ない人」だという現実です。
現在、エロ本の読者の年齢層は40代から50代がメイン。
そしてその大半がネットをやっていない人、なのです。
だから、エロ本でネットの記事を書くと不評だと言います。
 キツい言い方をしてしまえば、エロ本を読んでいるのは、保守的な情報弱者なのです。
だから、何か新しいことをやってはいけないのです。


雑誌の直面している課題は、
皆こんな感じなのではないだろうか。
私の関わっている雑誌も同じ問題を抱えております・・。


ターゲットが、保守的な情報弱者、
40代から50代がメインですから、
今後、ターゲットは益々減っていくわけで、
地獄へのジェットコースターに乗っているようなものです。


これは、日本だけでなく、
私のいる台湾でも事情は同じです。


日本より発展が遅かった国は、
雑誌の普及が遅かった分、
雑誌に愛着、固執する人が少ない分、
雑誌離れの速度は更に早くなっています。


雑誌を見る人が、年々少なくなっていることは皆が分かっている。
自分自身も雑誌を買うことは、ほとんどなくなっている。
暇つぶしのネタは、ほぼスマホに奪われてしまっている。


しかし、幸いにも雑誌の広告単価はかなり高い。
だから、雑誌が売れなくても儲かる仕組みになっている。


そして、ネット広告は単価が低すぎて儲からない。
だから、ズルズルと現在まで来ているというのが、
大半の雑誌の現状なのではないだろうか。


もはや、市場の論理からすれば、
こんな高い広告単価が今後も続くことはないはずである。
明らかに見る人は少ないのだから。


ネットに戦場を移したとしても、
広告単価の低いネットメディアの世界で生き抜くのも至難の業である。
競争相手の数も雑誌の比ではないのだから。


出版業界の年齢層はネット業界と比べてかなり高い。
かなり年老いてしまっている。


M&Aのような劇的な変化がない限り、
そんな組織が、自ら変わることは無理だと思うのだ。


これから、出版雑誌はどこへ向かっていくのだろうか。

ビジネス英語を“書く”練習、していますか? たしかにしてないなあ・・。

ビジネス英語を“書く”練習、していますか?
たしかにしてないなあ・・。


ビジネス英語を“書く”練習、していますか?
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1311/11/news099.html


英語能力を高めるために学習しているスキルとして「聞く」能力は86.3%で
「読む/話す」能力も60%を超えているのに対し、
「書く」能力は39.2%と最も低かった。



読む/話すは熱心に勉強しているのに、
書くことが疎かになっている人が多いということですが、
かく言う私も、もちろん、この部類に属しております・・。


仕事の場面では、
話す、聞く、読む、書くは、ほぼ満遍なく機会があります。


なのに、何故か書けない。
正確には、ビジネス文書が書けないのです。


私の場合、
社内でのメールのやり取りはできます。
話し言葉と同じフラットな言葉遣いで書いているからです。


しかし、社外向けのメールは
そうはいきません。


だから、社外向けのメールは
ネイティブに任せてしまっていました。


任せてしまっているので、
CC.で届いたメールも読んではいるものの、
それを真似てモノにしようという意識がないのです。
それは、ネイティブの人の仕事と決めつけていたのです。


おそらく、
外国語を話せる人たちの置かれている環境は
私と似たり寄ったりなのではないでしょうか。


書く事はネイティブの仕事で、
会話さえ出来ればいい、
読めればいいと割り切ってしまっているから
こういう結果になったのだと思います。


これが、仮に自分で独立して事業を始めたとすると、
スタートアップの際には、
必ずしもネイティブスタッフがいるとは限りませんから、
必然的に覚えるのではないでしょうか。



この記事を見る限り、
外国語をビジネスレベルで書く事ができれば、
ライバルに差を付けるチャンス、
もうワンランク上に行ける可能性があるということかと思います。


例えば、中国語の世界でいえば、
「中国で一番有名な日本人」こと
加藤嘉一さんでしょうか。
http://diamond.jp/articles/-/33489


中国で読み/話すが出来る人はごまんといます。
でも、中国語で書き、発信できた人が少なかったわけです。
それが出来た彼はやっぱり素晴らしいと思います。
いろいろと批判の声も多い方ですが・・(そこは論点ではないので)。


こういうのも、
ちきりんさんのいうところの、
「渋滞を抜け出す力」なのかなあと思います。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/?of=4


この記事は、すごくいい勉強になりました。
私も「渋滞を抜け出す力」を身につけなくては。

たしかに、大企業の研修は役立たなかった(実体験) に思うこと

たしかに、大企業の研修は役立たなかった(実体験)
http://blogos.com/article/73652/


ちきりんさんの「大企業のほうが成長できるとか完全にウソ – Chikirinの日記」
への反応がすごい。
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20131113


あちこちで、ネタになっている。
その中で、一番分かりやすい解説があったのが
いけだはやとさんのブログだ。


・特に大企業の研修は、「その会社に長期間勤めること」が前提
・残りつづけていたら、研修したという経験・人脈は「役立っている」
・転職・独立したら、そうした資産は何の役にも立たない
・大企業の研修は「文化的な儀礼」
・「ビジネスパーソンとしての市場価値を高めるための訓練」ではない
・外の市場で戦いたいと考えている人にとっては、時間の無駄。
・リクルートは「美味しい」会社。



大企業の研修が役に立たないのは確か。
僕も、実体験として、そう感じている。


大企業の研修は、
「その会社に長期間勤めること」を前提とした「文化的な儀礼」。


でも、リクルートは美味しい会社であるとも。
リクルートも立派な大企業である。
年商1兆円の企業なんですから。


探せば、
こんな「美味しい」大企業もあるということか。

リクルートは、
僕が就職活動をしていた当時10数年前から、
就活生の中でも、他の会社とは違うという認識がすでに定着していた。


当時、大学で行われる企業の説明会で、
ダントツに目立っていた会社だった。


それは、リクルートが
長期間勤めることを前提としていないからだったのかと思う。
だから、求める人材も違うので、選考方法も違ってくる。


それを異質と感じていたのだろう。
当時の私は結構保守的な人間だったので・・。


リクルートは人材輩出会社として知られている。
リクルートから多くの起業家が産まれているのは周知の事実である。


そんなリクルートだからこそ、
ポータブルなスキルの習得を研修としているのではないだろうか。


リクルートに行けば、ポータブルなスキルが身に付く。
独立したら役に立つ人脈、知識が身に付く。
そして、独立できる。


これを売りにすることで、優秀な人材を獲得する。
リクルートのしたたかな戦略なのではないかと思う。


終身雇用が崩壊し、
人材の流動性が前提となっていく社会において、
リクルートの人事戦略は、
これからの時代の大企業のモデルケースとなるのではないだろうか。

台湾と韓国、日本に対する“大きな違い”はどこからくるのか

台湾と韓国、日本に対する“大きな違い”はどこからくるのか―香港メディア
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131110-00000014-xinhua-cn


この件は、
中国にいた当時から疑問に思っていたことで、
未だ、はっきりとした答えが分からずにいます。


私が中国で初めて働いたのも台湾企業で上司は台湾人でした。
そして、中国で知り合って結婚したのも台湾人。

台湾とは非常に縁があり、
台湾人と結婚して台湾に住むようになった者として、

香港メディアのいう

「国民政府が台湾に移った後、
共産党やロシアへの対抗に精力の大半を注いだため、
台湾では日本植民統治を批判する余力が残っておらず、
人々は徐々に歴史を忘れていった。」

という解釈は、そういう側面は一部分としてあるのでしょうが、
どうも、しっくりこないという感想です。


凛氏の

「台湾の場合は、第二次世界大戦後、
大陸から台湾にやってきた国民党という大陸の中国人の支配があまりにひどかったが故に、
それに対する当てこすりとして、
日本の植民地時代の方がよかったと言っているにすぎないという考えが一番しっくりきます」
http://blogos.com/article/73479/

このほうが、しっくりくる部分が多いのですが、
これだけでは説明がつかない部分がある気がします。


若い世代の人たちは、
その当時のことは知りませんし、
国民党政権下の台湾が、
子供達にこのように教育するとも思えません。


私は、上に加えて、
戦後に日本が急速に経済成長しGDP世界2位になり、
多くの日本メーカーが世界を席巻したことや、
他の国と比べて日本の環境が素晴らしいこと等への
純粋なリスペクトから来ているのではないかと思っています。


彼らは、特段、何の思い入れもなく、
イイものは良い、悪いものは悪いと純粋に判断するので、
韓国に押され、日本の影が薄くなっている状況が続けば、
段々と日本へのリスペクトも薄れていくのではないでしょうか。

海外に出てぐちゃぐちゃな環境で働いて学べることはスゴく多い!

Chikirinさんの日記~大企業のほうが成長できるとか完全にウソ
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20131113


↑ 本当にその通りだと思います。


私は日本で5年間、
大企業と呼ばれる会社で仕事をしてきました。


そこでの仕事は、何かを考える前に、
既にお膳立てがなされているというものでした。


このマニュアルに沿って進めてください。
会社の方針はこうです。
ビジネスモデルはこうです。
さあ、どうぞ、と。


上から降ってくるものを
こなしていくことこそが、
仕事でした。


会社が敷いたレールの上で仕事をこなし、
仕事をこなしたことに充実感を覚え、
新しく降ってくる仕事をこなすことで、
何か新しい技術でも得たような気分に浸っていました。


このような環境下で、
「仕事ができる」気分を味わっていました。
(正確には、勘違いしていました・・。)


そんなマニュアル遂行、
上から指示待ちが染み付いた
人間が海外にでたものだから、
最初は相当苦労しました。


何故、指示がないのか、
それで不満を口にしたり、
言い訳にしたりする状況でした。


そんなだから、
全然仕事ができなかった。


そんな情けない経験をして初めて、
自分が仕事をできないことに
気付くことができました。


そこで初めて、
会社を経営することとは何か、
人をマネジメントすること、
ユーザーニーズからの着想など、
こんな当たり前のことすら分かっていなかったこと、
考えた事がなかったことに気付きました。


そこで初めてドラッカーの本も
真剣に読むようになりました。


そして、
何もない状態から生み出していく事を
日々の仕事を通じて経験し、
学んで行きました。


人手不足な環境だったので、
営業、人事、財務など、
あらゆる事をやりました。


稚拙な仕事レベルでしたが、
その積み重ねが今の自分の基礎となっています。
日本での5年間は何だったのかと思うほどです。


あの時、もっと歳を取っていたら、
プライドが邪魔をして、
こうは出来なかったと思います。


そうして、多くの駐在員が夢破れて
日本に返されて行くのをたくさん見てきました。


やっぱり、ぐちゃぐちゃな中で仕事をするのは
すごく貴重な経験です。